篠原 翼 *
1. はじめに
国境を越える経済活動が日常化した現代社会は,多くの国境を越える法的な紛争を生じさせることになった。紛争当事者は,迅速かつロー・コストで紛争解決を行うことができる仲裁制度を選択することで,膨大な訴訟費用や公開審理の原則,長期間の訴訟期間を要する国家裁判所に付託しないことに経済的・時間的メリットを得ることができる。そのためには,紛争当事者は,事前又は事後の同意によって,仲裁又は調停のような紛争外解決制度(Alternative Dispute Resolution, ADR)を利用するようになってきた。特に,スイスは,仲裁地として選択されることが多く,これは国際仲裁におけるスイス法の重要性が非常に高いことを意味している。また,現在注目を集めているスポーツ仲裁裁判所がスイスのローザンヌに本拠地を置いていることからも,スイス法の研究が仲裁法廷における紛争を解決する上で非常に重要である。
そこで,本稿では,国際仲裁判断の取消しを求めて国際私法に関するスイス連邦法(Loi fédéral suisse sur le droit international privé du 18 décembre 1987, LDIP[1])第190条2項に規定されているスイス連邦裁判所に訴えを提起する条件(以下,取消事由)について,その制度がどのようなものか,また,どのような場合に取消しが認められるのかについて確認することを目的としている[2]。
以上の問題意識を踏まえて,本稿では, LDIP第190条2項に規定される5つの取消事由について紹介していくことにしたい[3]。それらの取消事由は,(a)仲裁人が不適法に指名される又は仲裁法廷が不適法に構成された場合,(b)仲裁法廷が不当に管轄を宣言した又は無管轄である場合,(c)仲裁法廷が提起されていた請求の範囲を超える決定を下した場合又は仲裁法廷がその請求の条項のうちの一つを判断することを怠った場合,(d)訴訟当事者の平等又はその審理を受ける権利が遵守されていない場合,(e)公序と両立不可能な場合,である[4]。本稿では,あくまでこれらの取消事由の内容について確認するに留め,それが如何なる場合に認められるのか,その基準が如何なるものかについての分析は,別稿に譲りたい。
2. スイスにおける国際仲裁判断に対する取消手続
本稿の目的である取消事由について検討する前に,本章では,スイスにおける国際仲裁判断に対する取消手続について簡単に確認しておきことにする。ここでは,(1)仲裁判断の種類,(2)不服申立資格(qualité pour recourir)と不服申立期間(délai de recours),(3)不服申立ての放棄(renonciation au recours)について簡単に見ておくことにする。それ以外の手続上の要素については,本稿では扱わないことにする。
1)仲裁判断の種類
仲裁法廷で下される仲裁判断は,(a)最終判断(sentence finale),(b)部分判断(sentence partielle)(LDIP第188条),(c)先決判断(sentence préjudicielle)(LDIP第186条3項),(d)手続決定(ordonnance de procédure)に分類される。これらの仲裁判断は,それぞれスイス連邦裁判所に対する仲裁判断の取消請求の受理可能性が異なっているため重要である。
特に,(b)部分判断は,LDIP第190条2項(a)から(e)に基づく取消請求が認められるが,取消事由に該当することが判明した後に即座に請求しなければ,権利失効(forclusion)となり,不服申立てを提起することができなくなる[5]。(c)先決判断は,LDIP第190条3項に基づき,取消事由のうち(a)および(b)に基づいて仲裁判断に対して不服申立てを提起することができる[6]。また,部分判断と同様に,即時に請求しなければ権利失効となり,それ以降不服申立てを提起する権利を失うことになる[7]。
2)不服申立資格と不服申立期間
次に,スイス連邦裁判所法(Loi sur le Tribunal fédéral du 17 juin 2005, LTF)[8]第76条1項a号及びb号は,不服申立資格について,2つの場合に申立人に不服申立資格を認めている。すなわち,①「申立人が仲裁に参加した又は仲裁を行う可能性を奪われた場合」,②「申立人が不服申立の決定に関連し,決定の取消又は修正によって利益がある場合」である[9]。
また,不服申立期間については,LTF第100条に規定されている。それによれば,不服申立ては,「謄本の(l’expédition complète)の送達後30日以内にスイス連邦裁判所に」送達されなければならないとしている。本条で認められる30日の期間は,延長することはできない(LTF第47条1項)[10]。
3)不服申立ての放棄
LDIP第192条1項は,当事者に対して仲裁判断へのすべての不服申立てを放棄することを認めている。不服申立ての放棄を認めるには,3つの条件を満たす必要がある。すなわち,①すべての当事者がスイス国内に居住していないこと,②仲裁合意又は事後の書面による合意によって不服申立ての放棄が規定されていること(放棄の形式上及び性質上の有効性),③当該仲裁合意又は事後の書面による合意によって,仲裁法廷の判断に対するすべての不服申立てが排除されること(放棄の実質的有効性),である[11]。
3. LDIPにおける国際仲裁判断に対する取消事由(les motifs du recours)
前章で確認した取消手続に基づいて,不服申立てをすることが認められた申立人は,LDIP第190条2項に規定される取消事由に基づいて,スイス連邦裁判所に仲裁判断の取消又は修正を求めることができる。仲裁判断を取り消すことができることは,LTF第77条1項によって認められている[12]。以下では,第190条2項に規定される5つの取消事由についてそれぞれ検討していく。
1)仲裁人が不適法に指名される又は仲裁法廷が不適法に構成された場合(LDIP第190条2項a号)
本号は,「仲裁人が不適法に指名される場合又は仲裁法廷が不適法に構成された場合」に,仲裁判断に対して異議申立てを提起することを認めており,当該異議申立てがスイス連邦裁判所によって認められる場合には,当該法廷でなされた仲裁判断の取消しが認められることになる[13]。
ここでいう①「仲裁人の不適当な指名」と②「仲裁法廷の不適当な構成」は,どのような灰に認められるのであろうか。まず,①について,「仲裁人の不適当な指名」は,仲裁人の独立性や公正性を正当化することができず,忌避申立ての対象となる者を指名した仲裁法廷によって仲裁判断が下された場合である。次に,②について,「仲裁法廷の不適当な構成」は,仲裁法廷自体の独立性及び公正性の欠如する場合や当事者間による仲裁合意又は準拠することに合意した仲裁規則に違反して仲裁法廷を構成した場合である。
2)仲裁法廷が不当に管轄を宣言した又は無管轄である場合(LDIP第190条2項b号)
本号は,「仲裁法廷が不当に管轄を宣言した又は無管轄である場合」に,仲裁判断に対する異議申立てが認められ,当該異議申立てが連邦裁判所によって認められる場合には,当該法廷でなされた仲裁判断の取消しが認められることになる[14]。
当該取消事由は,紛争の仲裁可能性(l’arbitrabilité du litige)及び仲裁合意の形式上及び実質上の有効性に関するすべての条件(toutes les autres conditions de validité formelle et matérielle de la convention d’arbitrage)を対象としている。例えば,仲裁合意の締結に関わるすべての問題(特に,当事者による合意の存在の有無)や仲裁合意の解釈に関する問題,仲裁合意の適用範囲の決定に関する問題である。もし有効な仲裁合意がない場合,又は,仲裁合意の適用範囲を超えて仲裁法廷の管轄権を認めた,或いは,仲裁合意に基づけば無管轄であるにもかかわらず,その管轄権を認めて仲裁判断を下した場合に,第190条2項b号に基づいて,スイス連邦裁判所に当該仲裁判断の取消しを求めることができる。
3)仲裁法廷が提起されていた請求の範囲を超える決定を下した場合又は仲裁法廷がその請求の条項のうちの一つを判断することを怠った場合である(LDIP第190条2項c号)
本号は,「仲裁法廷が提起されていた請求の範囲を超える決定を下した場合又は仲裁法廷がその請求の条項のうちの一つを判断することを怠った場合」に,仲裁判断に対する異議申立てが認められ,当該異議申立てが連邦裁判所によって認められる場合には,当該法廷でなされた仲裁判断の取消しが認められることになる[15]。しかし,本号を援用するケースは稀であるため,重要性は低いと思われる。
4)訴訟当事者の平等又はその審理を受ける権利が遵守されていない場合(LDIP第190条2項d号)
本号は,手続に関する基本原則の違反,つまり,当事者平等原則(le principe de l’égalité des parties)及び審理を受ける権利(droit d’être entendu)が遵守されていない場合には,仲裁判断に対する異議申立てが認められ,当該法廷でなされた仲裁判断の取消しが認められることになる[16]。スイス連邦裁判所は,当該事由が当事者平等原則および対審手続における審理を受ける権利(droit d’être entendus en procédure contradictoire)の保障を規定するLDIP第182条3項,に規定される手続の強制規定(règles impératives)の遵守を保障することを目的としていると判断している。LDIP第182条3項によって保障される手続上の基本原則は,以下で検討する手続的公序(ordre public procédural)にも該当することになる。
5)公序と両立不可能な場合(LDIP第190条2項e号)
本号は,仲裁法廷で下された仲裁判断が「公序と両立不可能な場合」に, 当事者による仲裁判断への異議申立てが認められ,スイス連邦裁判所によって当該仲裁判断の取消しの有無が判断されることになる[17]。ここでいう「公序」は,「手続的公序」と「実質的公序」(ordre public matériel)の2つに分類される。
「手続的公序」とは,上述のように,LDIP第182条3項によって定められている手続に関する基本原則,すなわち,当事者平等原則,対審原則(le principe de contradiction),審理を受ける権利の保障に対する違反がある場合には,手続的公序に反するとして,仲裁判断を取り消すことができる[18]。
「実質的公序」とは,仲裁判断がスイスにおいて支配的な見解に従って,すべての司法秩序の基礎となるべき本質的な価値を遵守していない場合に認められる。例えば,契約上の誠実性の原則(le principe de fidélité contractuelle)又は「合意は拘束する」の原則(le principe de pacta sunt servanda)等である。当該原則の違反は,契約条項が当事者に関連すると認められた条項を適用することを仲裁法廷が拒否する場合,又は,仲裁法廷が当事者に関連する条項の遵守を当事者に課す場合にのみ認められる。他には,信義則違反や権利濫用の禁止,差別的措置の禁止(la prohibition des mesures discriminatoires)も「実質的公序」に該当する[19]。
4. 結びに代えて
本稿は,スイス国際私法第190条2項における国際仲裁判断に対する取消事由について簡単な紹介を行なった。特に,取消事由は,スポーツ仲裁の文脈で多く用いられる傾向にあり,それを主な原因として国際仲裁判断に対する取消事由の援用件数が増加している[20]。スポーツ仲裁以外でも,国際商事仲裁の仲裁地としてスイスを選択する場合も多く,本条に規定される取消事由を検討し,明らかにしておくことに重要性があると思われる。そのためには,各規定の内容をスイス連邦裁判所の判例を分析しながら詳細に検討する必要がある。この点については,別稿を学術雑誌に刊行する予定であるため,それを参照してほしい。
† 明治大学修士課程・ローザンヌ大学修士課程修了(LL.M),ローザンヌ大学博士課程進学予定(PhD)。
[1] 本稿は,スイスの公式言語のうちフランス語に基づいて執筆している。英訳では,Private International Law Act (PILA)。
[2] LDIP第190条2項における取消事由は,国際商事仲裁やスポーツ仲裁等,その性質により,判断基準が異なっている。See Gabrielle Kaufmann-Kohler & Antonio Rigozzi, Arbitrage international – Droit et pratique à la lumière de la LDIP, 2e édition revue et augmentèe, Editions Weblaw, Berne 2010, pp. 499-539.
[3] 法律の条文については,以下のスイス政府のウェブページを参照せよ : https://www.admin.ch/opc/fr/classified-compilation/19870312/index.html(最終確認2020/08/13)。
[4] この点については,別稿でスポーツ仲裁の観点から若干の分析を行なっている。篠原翼「スポーツ選⼿への新しい法的救済⼿段の出現可能性についての⼀考察 ―ヨーロッパ⼈権裁判所とスポーツ法秩序との関係性の考察を通じて―(一)」日本スポーツ法学会年報第26号(2019年),124-141頁。
[5] Par exemple, TF 4A_282/2013, S.C. FC Sporting Club SA Vaslui c. Consultoria International Deportiva Marinescu S.L, arrêt du 13 novembre 2013, consid. 5.4.
[6] Ibid.
[7] Ibid.
[8] RS 173.110(https://www.admin.ch/opc/fr/classified-compilation/20010204/index.html)。
[9] See Gabrielle Kaufmann-Kohler & Antonio Rigozzi, supra note 2, pp. 461-465.
[10] Art. 47 al. 1 LTF: 「法律によって定められた期限は,延長することができない。」
[11] Gabrielle Kaufmann-Kohler & Antonio Rigozzi, supra note 2, pp. 468-478.
[12] Art. 77 al. 1 LTF: 「民事事件に関する訴えは,以下の条件で,仲裁法定の決定に対して受理可能となる。すなわち,(a)国際仲裁について,国際私法に関するスイス連邦法第190条から第192条に規定される条件;(b)国内仲裁について,スイス民事訴訟法第389条から第395条までに規定される条件。」
[13] Gabrielle Kaufmann-Kohler & Antonio Rigozzi, supra note 2, pp. 500-504.
[14] Ibid., pp. 504-510.
[15] Ibid., pp. 510-512.
[16] Ibid., pp. 512—522.
[17] Ibid., pp. 522-539.
[18] TF 4A_558/2011, Matuzalem v. Fédération Internationale de Football Association (FIFA), Judgment of 27 March 2012 (The original Text is in German), consid. 4.3.1 – 4.3.5.
[19] Ibid.
[20] スイス国際仲裁判断に対するスイス連邦裁判所判決の英語訳は,http://www.swissarbitrationdecisions.comを参照せよ。
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