Category: Student Notes
筑波大学社会国際学群国際総合学類 島田 幸
1 はじめに
スイス法第9回の授業では、ゲスト講師であるミハエル・ウェーバー氏によって、スイスの刑法の講義が行われた。その中で、具体的な刑法の内容を解説する前に、これまでのスイスにおける刑事裁判の歴史が語られた。そして講義を受けるにつれ、なぜ彼が冒頭に語ったのが歴史の話だったのか、その意図が明らかとなった。現代の法律は過去の歴史的変遷を受けての帰結であり、その国が歩んできた道のりが反映されているものである。その点で歴史という観点は物事を語る上では避けては通れないのだと、再認識させられた。一見、自明のようにも思えるこの原理を認識したとき、他の法ではどのように歴史が表れているのかと疑問が湧いた。そもそも国籍制度のあり方には、その国の国家形成の過程や政治的理念が色濃く反映される。とりわけスイスは建国までの流れや多文化・多言語社会の国としての独自の道のりなど日本のみならず多くの国々とは異なる歴史を歩んでいる[1]。以上から,本稿では、スイスにおける国籍制度にはどのような歴史的背景が表れているのかを検証し、スイスにとって国籍がいかなる意味を有してきたのかを考察する。
2 国籍法の基本構造
スイスの国籍制度の大きな特徴は、すべての市民が三段階の国家共同体-本籍自治体、本籍邦、連邦-それぞれの市民権を有しているという点にある。この三つの市民権は不可分一体のものである[2]。スイス人はまず自治体の市民権を有する。これは、親の共同自治体を基準とした戸籍登録によって、子どもに自動的に引き継がれる。そして自治体市民権を持つ者は連邦憲法によって邦市民であると定められている。そして、邦市民は連邦憲法上、スイス市民とされる(連邦憲法37条1項)。このような仕組みには、スイスにおいて、国籍を抽象的な国家への所属としてではなく、具体的な地域共同体への帰属を基礎として捉えられていることが表れている。国籍とは、国家から一方的に付与される地位というよりも、歴史的に形成されてきた共同体の構成員であることの延長として理解されている。すなわち、国籍を取得するということは、スイス国民として受けられる「権利を得るための権利」を獲得するだけでなく、国との実質的な関わりを持つことも意味している。
また、国籍取得の方法としては、出生による取得と帰化の二種類がある。スイスでは、親の国籍に基づいて国籍を付与する血統主義が採用されており、父または母がスイス人であれば、国外で出生した場合であってもスイス国籍が与えられる仕組みとなっている (国籍法1条1項)。一方、帰化には簡易手続と通常手続の二種類があり、スイス人の配偶者や無国籍の子ども、外国人移民3世などは簡易手続きの対象となる(国籍法20-25条)。もっとも、いずれの場合にも一定期間の居住や言語能力、社会への統合状況など、「スイス社会に溶け込んでいること」を証明しなければならない(国籍法12条1項)。
3 国籍制度と歴史的背景
3.1 国家形成の歴史と国籍制度
スイスの国籍制度を理解するためには、まずはその国家形成に目を向ける必要がある。スイスが建国されたのは、1291年8月1日であるとされている。これは、現在のスイス中央部に位置するウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの三州の同盟体が盟約を交わした日に由来する。彼らはその日、それまでのハプスブルク家の封建的支配を脱し、自らの手で自国の領土を管理したいと考え、自由を獲得する道へと歩み始めた。その後、複数の邦が同盟に加わり、長い歴史を経て、1848年に近代的連邦国家が成立した。19世紀に統一的な一つの国家として機能するまで、スイスは主権的地位を有する邦(canton)の連合体として存在していた。これは自治的な地域共同体や都市が相互に同盟を結ぶことによって形成されてきた政治体であり、その中で重視されてきたのは、抽象的な「国家」への帰属ではなく、具体的な地域共同体への所属であった。各共同体の構成員であること、すなわち、市民権を有することが政治的・社会的な身分の基礎をなしていたのである[3]。
1848年に連邦国家が成立した後も、この発想は消滅せず、連邦制の枠組みの中で制度化された。その結果、スイスでは国の構成員であることを示す連邦国籍が単独で存在するのではなく、基礎自治体(commune)および州(canton)の市民権を基礎として構成される三層的な国籍制度が維持されている。この構造は、国家が先に存在し個人を包摂するという発想とは異なり、地域共同体の連合として国家が形成されたという歴史的経緯を反映している。したがって、スイスにおける国籍とは、単なる法的地位ではなく、歴史的に形成された共同体の構成員であることの延長線上に存在する概念であるといえる。
3.2 統合政策にみる歴史的要因
スイスの国籍取得条件には、通常手続、簡易手続の双方に詳細な要件が設けられているが、その中でも特徴的なのが「社会への統合」が重視されている点である。ここで、比較対象として隣国のフランスを例に挙げる。フランスにおける帰化制度は大きくはスイスと大差ない。一定の滞在期間と語学の証明、文化への理解が必要となる。(Code civil: Titre Ier bis : De la nationalité française Articles21)ただ、フランスではライシテに代表される同化政策が採択され、出身背景を問わず、一律の「フランス国民」として存在することが求められている。実際、スイスと同じ移民大国であっても、この国においてアイデンティティを保証するのは何をおいても唯一の公用語である、フランス語だ[4]。これは、フランス革命によって生み出された国民皆兵の思想がフランスという国家を形成し、他国から流入してきた人々に対しても同じ価値観・文化を共有することで、移民も含めたフランス国民の一体性を作り上げてきた、フランスの歴史的背景を映し出している。また、このような考え方はフランスの国籍制度の根幹にある、「国籍とは、親から子へと引き継がれていくアイデンティティである」という血統権に基づいたものである[5]。
他方でスイスにおいても、もちろん長期間スイスに滞在していることや言語能力を有していることのみだけでは国籍取得は認められない(国籍法11条)。帰化にあたっては自治体および州の市民権を取得する必要があり、各州の国籍法では連邦国籍法に規定されている要件よりも細かい要件が規定されている。多くの場合、自治体レベルで帰化試験もしくは面接が実施される。試験内容は州によって異なるが、単なる文法的知識に加えて文化的背景や習慣の理解が必要になる言語能力を測る問題や、スイスの政治の仕組み、歴史、地理的な理解を問う問題が出題される。実際、帰化試験対策のためのサイトやアプリも存在し、サイトに自治体名を記入すると、その地域の帰化試験の予想問題が出題される仕組みとなっている[6]。もっとも、この制度については、アジア人やアフリカ人をはじめとした文化的背景の異なる者に対する不利な扱いにつながりかねないという批判や、問題の難易度がその地域に住む平均的なスイス人に期待される水準を超えているのではないかといった指摘もされている[7]。
しかしながら、このような地域社会への具体的適応を重視する制度には、スイスの、複数の邦が集まって構成された国であるという歴史的背景がありありと映し出されていると言えよう。多様な文化と言語を内包するこの国において、新たに共同体に属するためには、抽象的な同化よりは、むしろ州や基礎自治体ごとの明確な社会的・制度的枠組みへの機能的な適応が求められるのである。
4 おわりに
本稿では、スイスの国籍制度の基本構造とその歴史的要因との関連性を検討した。スイスの国籍の特徴としては、自治体、州、連邦の三層構造をとり、地域共同体への帰属を基礎として成立しているという点が挙げられる。この制度は、この国が複数の州の同盟から出発し、連邦国家へと発展してきたという歴史を色濃く反映するものである。すなわち、スイスにおける国家観とは、連邦国家が上から国民を包摂する存在というよりも、地域共同体の積み重ねによって構成される連合体としての国家像であるといえる。また、帰化に際して社会への統合が重視される点にも、地域社会との具体的結びつきを重んじる思想が表れている。もっとも、移民の増加や社会の多様化が進む現代においては、統合要件の厳格さが排除につながる可能性も指摘され、直接民主制を採用しているこの国では、これらの外国人の権利も、国籍を有する者のみが最終的な決定権を持つという構造的課題も内在している点に留意する必要がある。
[1] スイス文学研究会編『スイスを知るための60章』明石書店(2014年)53-57頁,88-91頁
[2] 小林武著『現代スイス憲法』法律文化社(1989年)76頁。
[3] 奥田喜道「スイスの国籍付与手続における問題点」早稲田法学 80巻3号(2005年)433-452頁。
[4] 梅本洋一・大里俊晴・木下長宏『パリ・フランスを知るための44章』明石書店(2012年)78頁。
[5] 三浦信孝・西山教行『現代フランス社会を知るための62章』明石書店(2010年)255―256頁。
[6] Canton de Vaud (n.d). A-Vaud-Test. https://prestations.vd.ch/pub/101112/#/
[7] SRF. (2023, August 28). The obscure process of applying for a Swiss passport. Swissinfo.ch. https://www.swissinfo.ch/eng/politics/the-obscure-process-of-applying-for-a-swiss-passport/48767110
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